神田祭 「日本三大祭」京都の祇園祭・大阪の天神祭・江戸の天下祭です。
| 将門塚保存会大神輿 |
| 江戸時代よりご祭神・平将門命がお乗りになった神輿が東京大空襲で紛失して以来、約60年ぶりに平成17年の神田祭において担ぐことができる将門神輿が復活した。神輿宮入で大手丸の内町会・史蹟将門塚保存会の方々により担がれ将門公を思わせる勇壮な姿が初披露された。現在は神田明神境内に奉安されている一般的な神輿の形式とは異なる「入母屋造」で台輪3尺5寸という大きな神輿で、当社宮司・大鳥居信史と将門保存会会長で当社の氏子総代・遠藤達藏氏が設計・監修を手がけ、6世宮惣・種谷吉雄氏により制作。将門公をはじめ将門公に縁の滝夜叉姫、一遍上人の彫刻が刻まれています。 |

| 神田神社・・・神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場など、108町会の総氏神様で「明神さま」の名で親しまれている。 神田明神の歴史・・・社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建された。その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。 江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。 明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。神田明神ホームページ |
神輿宮入 溢れる熱気と歓声待ちに待った神田祭り
二年に一度の思いを込めて神輿を担いで宮入参拝
「日本三大祭」京都の祇園祭・大阪の天神祭・江戸の天下祭です。
平将門公の首が葬られてから怪異が続き、当時の真教上人がその御霊を鎮め境内鎮守の明神に祭祀した
のが神田祭の始まりとも伝えられている。以降、社地は現在の大手町の地から江戸幕府が開かれた
頃には駿河台に移転し、のちに今の境内地(千代田区外神田)に移転した。その「天下祭」の伝統を
受け継いでいるのが神田祭と山王祭(赤坂・日枝神社)です。しかし江戸っ子達にとって、山王祭は"
将軍様の氏神"であり、神田祭こそ"庶民の神様"とされ、江戸に根付いた鎮守と氏子の祭です。
以後、江戸の繁栄と共にさらに豪華な祭礼となり、『神田祭』は今日も江戸っ子達の祭です。